戸塚ヨットスクールは、その厳しい教育訓練のあり方、死亡事故の発生、歪曲された報道などのため、これまで様々な誤解と中傷に曝されて参りました。
しかしながら、同スクールが「大自然との闘いで精神を鍛える」という方法により五百余名の情緒障害児(登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力など)を更生させ、心身の本当の健康状態を回復させることにも成功した事実には、教育と医学の両分野における画期的意義を見出すことができます。また、この事実を冷静に評価し分析する所から出発しなければ、戸塚ヨットスクール事件の真実も明らかにならないでしょう。
戸塚宏校長とコーチ達が3年余に及ぶ不当な弾圧をはねかえしてきたのも、同スクールの成果が、教育荒廃という名の文明病に病む日本にとって、かけがえのない価値を持つものであることを確信していたからに違いありません。
そうした認識に立つ時、「戸塚ヨットスクールを支援する会」は2つの目的を果たす必要があると思います。ひとつは、戸塚ヨットスクールの現実の運営を文字通り援助し、その存在基盤を確固たるものにすることです。よリ具体的には、入校生の紹介や成人スクール(健康増進のための短期合宿)への参加斡旋、寄付などです。
もうひとつの目的は、戸塚ヨットスクールがこれまで培ってきた間題児矯正の教育ノウハウに学び、そこから教育荒廃克服の道を切り拓いていくことにあります。
「戸塚ヨットスクール事件」が起きて以来すでに18年の歳月が流れていますが、当時も今も教育荒廃は何ひとつ改善されずにいます。鳴り物入りで発足した臨教審さえも教育荒廃の本質に迫った提言を成しえぬまま解散してしまった今、私達自身の手で真の教育改革を成し遂げることは、2l世紀に対する私達の責務であると信じます。
味覚の世界に「塩」というものがなかったなら、料理が味気なくなってしまうように、自己の深化を志向するある種のストイシズムを欠いた人生に人間の本当の喜びはないでしよう。これこそが今の教育に欠けているものです。そして、戸塚ヨットスクールが教えてれたものは、この「精神の塩」の価値にほからないのだと思います。
私は、この“支援する会”に呼応し、「我々の手で教育改革を!」という真摯の叫びが、日本全国で澎湃(ほうはい)として湧き上がって来んことを願ってやみません。
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